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☆・まずはご自身のことをお話しいただけますか?

kanako:社会人2年目の24歳です。大学を中途退学し、飲食店勤務を経て今はライターと接客業のアルバイトをしながら、独学で料理や薬膳の勉強をしています。趣味で料理やライフスタイルなどをinstagramで発信もしています。


らむ:趣味というよりは、もうかなり本格的なお料理ですよね^^
私がkanakoさんくらいの年齢の時は全く料理をしなかったので、純粋にすごいな~と思いならが拝見してます。
丁寧な暮らしの様子が綴られていて、見るだけで優しい気持ちになれます。

kanako:え~嬉しいです!ありがとうございます。丁寧にしてるつもりはないのですが、食事も含めて自分の日常が芸術的だったらいいなぁ...と思っています。まだやりたいことが明確に定まっていませんが、やれることを1つずつやっていこうという気持ちです。

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☆・以前からヌード撮影などに興味があったのでしょうか?

kanako:らむさんのアカウントを高校生の頃から見ており、一般の大人女性や、女性が持つ艶や美しさにはもともと興味がありました。ですが、恥ずかしくて周りにも言えませんでしたし、撮りたいとも、撮れるはずもないと思っていたのでヌード撮影自体には全く興味がなかったですね。

 

らむ:高校生の時から、何年間もよく飽きずに見てくれていたなと(笑)嬉しくてすごくびっくりしました。
私自身、写真を撮り始めた当時すでに30代になっていたので
私と同じように同年代、もしくはそれより上の年代の方へ向けてお役に立てればと思って発信していたのでkanakoさんくらいの若い方にも見てもらえてたんだと知りとても嬉しかったのを覚えています。


実際に撮影に来られる方の多くは30代~50代がメインなので
若い方を撮影することに、実は少しだけ抵抗がありました。求めているものが違うのではないか、それに応えられるだろうかと。
でもkanakoさんの美に対する熱意といいますか、情熱のようなものを感じて
撮影に年齢は全く関係ないんだなと気づかせてもらいました。私にとって、新しい扉を開くきっかけになった恩人でもあります^^

当時は「恥ずかしくて」周りに言えないようだったのですが
いま現在はいかがでしょうか?
どういうことが「恥ずかしい」と感じていた要素だったのでしょう?​

 

kanako:確かに。女として得たいものが同じであれば、年齢は関係ないかもしれませんね。30代~の大人の女性と比べたら私はまだまだ未熟で、ブドワールフォトの場合は女としてある程度成熟していないと撮れないと思っていたので私も最初はかなりプレッシャーでした。​

らむ:そうですよね、プレッシャーありましたよね。

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kanako:今はですね~、まったく何も恥ずかしくありません(笑)むしろ日本人特有の性に対する羞恥心を完全に忘れてしまったので、自制しなきゃいけないかな?と思うほどです。そのような話題が苦手な人の前ではマナー的に弁えないといけないとは思いますが、日常的には自由にセクシャリティを表現する女性でいたいなぁと思っています。

​らむ:素敵!!

kanako:昔恥ずかしいと思っていたのは...、「私は性的なことに興味があります!」と主張するのは汚いことだと思っていたというのと、あとは女として魅力がない私にそんな主張をする権利はないと思っていたから“恥ずかしい”と思っていたんだと思います。
自分で自分の女性性を受け入れらなかったですし、中高が女子校だったのもあり、そういう話題に全く触れないまま思春期を終えたのでその影響もあるかもしれません。


らむ:そうだったんですね!確かに、<30代~の大人女性のための撮影>という風に発信しているので、若い人は撮影をしてもらえないんじゃないかって思われることが多々あります。
決してそういうわけではいんですよね。こんな風に、素敵に歳を重ねていくことができるよっていう希望として知ってもらいたかったんです。
プレッシャーになってしまってごめんなさい(汗)
でもkanakoさんが来てくれたおかげで、私も撮影してみたいなと思う若い女性が増えたら嬉しいです。

羞恥心を忘れるほど開放的に、表現されるようになって
はたから見ていても感激しますね。
ああ、どんどん自由になって羽ばたかれていくんだなあと見守るような親心のような気持ちでいます。笑

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☆・撮ろうと思ったきっかけは覚えていますか?また、たくさんいるカメラマンの中でも西川らむにしてみようと思ったきっかけは何でしたか?

 

kanako:らむさんのワークショップに勇気を出して応募して実際にお会いしてみて、ずっと憧れてた世界が目の前にある高揚感が忘れられずもう一度体験したいと直感的に思ったことと、もうすぐ40歳になる知人が18歳の時にヌードの写真集を出していて、“なにも繕わない若い自分の体を写真におさめる”ということを自分もしたいと思ったことがきっかけです。

もともと脱ぐことには興味は無く、脱いだ先にあるものに興味がありました。

その興味をそそられたのは、西川らむさんの写真だけです。

彼女のお人柄、経験、知識、想い、全てを含めて彼女の世界観が実現しており、その世界観に入り込むことに興味があったので、他のヌード撮影をしているカメラマンには一切魅力を感じませんし、ヌードを撮る意味も感じません。

西川らむだから脱ぎたい、という感じですね。

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らむ:それは本当にうれしいです!ありがとうございます。

写真から世界観を受け取ってくださったこと、kanakoさんのその感性がうれしいんです。

2019年の6月に、初めて開催したワークショップでお会いしたんですよね。覚えています。あの時参加されてた皆さんがワークショップの終盤に、本当に洋服を脱ぎランジェリー姿になるっていう。(笑)男性もいましたけど、フラットにあの瞬間を楽しむ会場の一体感は感動的でした。

 

身近にヌード撮影をしたことがある人がいること自体、影響力が大きいですよね。

しかもその方自身が実際に若い時に体現してらっしゃったからkanakoさんに響いたのかもしれません。

「脱いだ先にあるもの」に興味があったのですね。

「脱ぐ」ことをテーマに撮影をしているのですが、一人一人撮影にたどり着くまでの背景があることを感じています。

ほんとうに人それぞれ理由があり「脱ぐ」ことで得たいものや経験したいものが違うので奥が深いと思っています。

 

kanakoさんの中で、“なにも繕わない若い自分の体を写真におさめる”こと

「脱ぐ」ということに希望のようなものがあったのでしょうか?

 

また西川らむの世界観に入り込むということはkanakoさんにとってどんな意味を感じていたのでしょうか。

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kanako:皆さん本当に色々な背景があるんだろうなと思います。女として生きていくことを表面的に楽しむ手段はこの世に溢れていますが、深層的に楽しむ手段って全然無いですよね。機会があれば、らむさんに撮影して頂いたことで人生変わった!という方を集めて撮影会がしたいな~~、絶対楽しいし、勉強になりそう。

らむ:あ!みなさんを集めてそういうのいいですね。モデルさん同士で繋がってくれるのはすごく楽しいです。

kanako:撮影は私にとって希望です。

自分のことが大嫌いだった一方で、「絶対に私はいつか美しい大人の女性になれる」と自分の中で確信していて。根拠のない自信というやつですが(笑)

だからこそ、今の自分を写真に残すことで“今が過去になる”という感覚を得たかったのだと思います。

そして“今にも価値がある”と思うことで、未来だけに希望を持って生きるのではなく、今この瞬間から希望を持って生きたかった。

らむ:それ分かりますね。自分のことが嫌い、でも本当はもっと綺麗なはずだ。

根拠ない自信ってありますよね。

そう思ってても、諦めてしまう人ってほんとに多いんですよ。

でもkanakoさんは諦めなかった。

まさに撮影に希望を感じていたんですね。

過去を認めるために撮ることもできるし、今を知るためでもあるし、未来をよりよくするためでもある。

そんな風に撮影を捉えてくれていると知れてとてもうれしいです。 

kanako:そして洋服を着ずに脱いで撮るという方がまったく想像がつかない世界だったので、服を着てモデルをするよりも本来の自分を出せると思いました。イメージが出来ないことをする時って誰の真似も出来ないから、本来の自分が存分に出ると考えたんです。

だから写真におさめるなら脱いで撮りたかった^^

 

らむ:なるほど。ほとんど洋服も着てないような状態の方が自分らしさって自然と出てしまうかもしれませんね。

物理的にも「脱ぐ」ということをすると、心にあった思い鎧のようなものも一緒に脱ぎ捨てる感覚になる人も多いんですよね。

だから「脱ぐ」って本当に奥が深いし、意識的に「脱ぐ」ことをしてみると何か発見があるかもしれないですね。

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☆・撮影はもう3回していますね!ご自身の中で心境の変化や見た目の変化を感じることはありましたか?

 

kanako:撮影”がもう私の日常に溶け込んでおり、あまり自覚していませんでしたが...よく考えてみたら、自分では引き起こせなかった変化がめちゃくちゃありますね!

小学生の時から自分の外見が全てコンプレックスで、無理なダイエットや自己嫌悪から抜け出せず10年間摂食障害にも苦しんでいましたし、女として魅力のない自分に性欲があるという事実も受け入れられず、女性性が強い自分がどんどん嫌いになる一方でした。

ですが撮影を3度経験した今、そんな状況が180度変わりかけている感覚です。長年自分は女性としての魅力が全くないと思い続けていたので、さすがに1年で全てを覆すことは出来ません。

“今のままで完璧♡”とは思えません。

ですが、自分の中の“女”の部分を良くも悪くも全て受け入れることが出来るようになったことは自分の中でとても大きい変化です。

今はとにかく、女性でいることが楽しく、コンプレックスに悩むことはありながらも、そんな状態でさえ『私は女だからな~仕方ない、頑張ろう!』と前向きに捉えられています。

外見の変化としては、最近ふと気づいたのは...以前はささくれや深爪だった手指やパサパサでも気にしなかった髪を、自然と美しく艶々に保つようになっていたことです。

“努力”していないのに、“勝手に”綺麗になっているような感覚です(笑)

あと、1年前初めて撮って頂いた時の写真と最近のものを見比べたら、体がしなやかになっていただけではなく、内側から女性らしさが滲み出ていて、女として解放されているような空気感が写真から見えて、とっても嬉しかった!!

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らむ:私もそれ思いました!kanakoさんが一年前の写真のビフォーアフターを載せているのをみた時に、すごく変わったのが分かりました。

体のラインや肌質も滑らかになっていたような^^

そして内側から柔らかい雰囲気が溢れ出ているような空気を感じました。

 

努力なしで勝手に綺麗になっている感覚って最強ですね!笑

本当~~に長い間、人の何倍も悩み苦しんでコンプレックスと向き合ってきたからこそ

いま女であることを楽しんでいらっしゃるのだと思います。

今まで縛り付けられていた”なにか”から、解放されていく様子は私も見ていて空気で伝わってきました。

特に先日の3回目の撮影では、より自然体でいてくれてとても嬉しかった^^

良い意味で「女だから仕方ない」を使ってらっしゃった。自分に降参する感じ。

 

 

たった一年でこの変化ってほんとにすごいです。

どうしてすごいのかっていうと撮影がkanakoさんの日常に溶け込んでいるからなんです。

何度か撮影を繰り返し行い、新しい自分をアップデートしていくことが習慣になっていったから

「勝手に」努力なしで綺麗になっていくことができた。

なりたい自分に近づいて行く、やりたいことは全部やるのスタイルが

撮影によって強化されたんじゃないかなと勝手に思っています。

 

 

 

たとえ周りが褒めてくれたとしても、自分が納得していなかったら満足できないのが女ですよね。

自分で変化や成長を感じられること・納得できるかどうかもすごく大切なところだと思うのだけど

撮影した写真を見て自分に「納得」できた感覚ってあったのでしょうか?

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kanako:本当に本当に感謝しています!環境と経験が自分に与える影響って凄まじいです。潜在意識が変わっていってるんだと思います。“なりたい自分に近づいていく、やりたいことは全部やる”→まさにこの通りですね^^

 

納得...そうですね。

初めてと2回目の撮影の時は、“現実を知る”という意味での納得でした。「私ってこうなんだ」っていう。「こんなの嫌、信じたくない」と思った写真もあるし、「綺麗!信じられない!」と思った写真もあります(笑)でもその両方ともが真実だということを半年かけて受け止めることができて、だからこそ3回目の撮影はナチュラルに出来たんじゃないかなと思いますね。

「どういう風に撮られても私は私」という気持ちで、肝が座っていたと思います。

たぶん、私にとっては“納得”って、“理解する”というよりは“気付く”に近いかもしれません。

論理ではなく感情で納得した感じ。

そうやって気持ちの面で良くも悪くも納得することが出来たので、自分の外見のことで感情に振り回されなくなりましたし、良くも悪くも自分を知ることが出来た。だから、「あとは良いところは伸ばして、悪いところは直そう」という思考になったんです。

多角的に自分の真実を見ることが出来ていないと、自分を磨けないんだなぁと気付かされましたね。

 

 

らむ:半年という長い時間をじっくりとかけてきたからこそ、感情で納得されてんでしょうね。

いい部分だけを受け入れることもできたはずなのに、見たくないであろうコンプレックスの部分も

多角的に自分を見ることをされたのがすごいなと思いました。そうやってまっすぐに見ることができる柔軟性は、美しくなっていく人の特徴だなと感じます。

 

綺麗になるって、腹をくくる事でもあるんですよね!

どんな自分でもどんと来いみたいな。

肝の据わった姿勢は撮ってても分かるんですよ。

こうでなくちゃという執着をポイポイッて手放していくぶん、今を楽しむことに集中できるから

より撮影が楽しくなると思うんです。

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☆・撮影した写真を、SNSなどで掲載することに対して抵抗はありましたか?またアップするメリットはありますか?

kanako:正直今も、肌が汚かったり脂肪が目立つ部位がよく見える写真は掲載して欲しくありません。自分で載せる際も、美しく撮れているもののみを載せています。

ですがその本心がある一方で、どんな私も作品として載せて欲しい、載せたい、とも思います。

矛盾しているのですが、この気持ちの矛盾こそ、私の美意識の変化なのだと思いますし、載せて欲しくない写真を“綺麗なもの”として載せてもらうことで、私の中の美意識のリハビリになっています。

他人の目を気にしてばかりで辛かった私が、他人の目を良い意味で気にして、“どう見られているか”を知り、他人の目を自分の目に反映させています。

自分だけの目で自分を見なくて済む、というのは、私にとって救いでした。

らむ:これは本当に共感です。

綺麗に写っている写真だけを載せたいと思う反面、そうではない受け入れにくい写真も載せてみたい。

こんな風にせめぎ合う気持ち、私はとてもとてもよく分かります。私自身もそうだからです。

これをリハビリと呼ぶ!その通りですね。

私はモデルさんの気持ちを察する一方で、カメラマンの視点からいうと

自分が受け入れたくないコンプレックスや傷やクセが、とても愛おしい愛すべきところなんだと気づいて欲しい気持ちがあります。

あえてそれを見せなくていいのだけれど、その人にとってコンプレックスをオープンにすることで「大きな変化をもたらす」と感じるときは

背中を軽くぽんって押すつもりで掲載させてもらうことがあります。

 

それこそkanakoさんが仰る通り、他人の力を借りて

その写真を「芸術的な作品」として見てもらうことができるからです。

自分1人で隠してしまうのではなく、周りの人の応援を借りてコンプレックスを昇華させてしまうことができると思っているんです。

 

 

もしかしたらその人自身はそんな風に思えるまでには時間がかかるかもしれませんし

私の気持ちが届かずに判断を間違えて失敗してしまうこともあります。

 

でも根底にあるものは、女性にとって大事なのは「どんな姿であっても受け入れられる」安心感だと思っています。

 

 

kanakoさんが救いを感じてくださるのは

自分だけの枠を超えて、どんな自分であっても周りの人に受け入れられてしまうことを自分に許したところからスタートしたからでは?と感じました^^

 

他人の目の使い方が、自分のためにと内側に内側に矢印が変わってきているのは素晴らしいですね。それが本来の他人の目の使い方だと思うんです。

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kanako:らむさんは私が「なんでこれ?」って思う写真ばかり載せてくださるので、おっしゃるとおり日々軽く背中をポンッと押され続けています(笑)

撮影後のみ載せてくださるのではなくて、時が経ってから載せられているのを見るとハッとするんですよね。それが1年続くと、不思議なもので嬉しいとか恥ずかしいとか嫌だなぁとか、そんな感情が湧かなくなってきました。違和感なく見れるようになったというか。

「あ、私だ!」くらいな気持ちで見ることができるようになってきた気がします(笑)単純に嬉しくて。それ以上でもそれ以下でもなくて。

これって...コンプレックスを昇華させられてますよね?(笑)やっぱりらむさんは流石です!♡

「自分だけの枠を超えて、どんな自分も周りの人に受け入れられてしまうことを自分に許した』!!まさにこれです!!

私だけではなくて女性は全員、自分で自分を許せるようになることこそがゴールなんだと思います。そのために出来ることって、自身をアップデートさせることだけではなくて、自身を見る視野を広げることも含んでいたんだなぁと今更ながらに気づかされましたよ。

これは撮らない限り絶対に気づかなかったことだと思います。

 

頭でなんとなく理解していても心がついていかないことって多いですが、いざ理解するために行動してみると心が先取りして気付くので、後から頭で理解することが出来ます。何か新しい気付きを得るって、頭より心が先だと心地良いなって感じました。

 

 

 

らむ:確かに、「なんでそれ?」っていう写真を載せているのかも知れない・笑

でもこれは写真の仕上がりだけではなく、kanakoさんから発せられるシャッターを切った時のエネルギーっていうんですかね。目に見えないスパークしたエネルギーみたいなものを基準に写真を選んでるんですよ。だから側から見たら見栄えが良くない場合もあるかも知れないです。でもエネルギー視点で見たらとても美しいんですよね。

撮らない限り気づけないことってありますよね、ほんと。

​未体験を体験していくことが、美しさを作っているのかも知れないですね。そしてそれが撮影の醍醐味かもしれません。

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・かなこさんにとって、何回も撮影する理由を教えていただけますか?

kanako:撮るたびに違う自分が見えるからです。女として日々成長しているかどうかなんて、鏡を見ても自撮りをしてもイマイチ分からないんですよね。私自身も未だに、“どういう女性になりたいのか”うやむやな所があります。どこに向かっているのかが分からなくて不安を抱えながらも、撮影を何度も重ねることで自分の向かう先を第三者の目で見ることができるので、地に足をつけた状態で前に進むことが出来ると感じています。

らむ:現在地の確認は大事ですよね。どこに向かうのかを決める前に、今の自分の状態を把握しておくこと未来の自分への理想像のスイッチが入る。写真のパワーをそんな風に使ってもらえたらと思います。

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・☆どういう方に撮影をオススメしたいですか?

 

kanako:"今の自分が好きになれない女性”です。ざっくりですが、もうほんとに、これに尽きます!

女としての自分が好きになれないという意味でも、人としての自分が好きになれないという意味でも、“好きになれない”部分はなんでも良いと思います。

ブドワールを通して“オンナ”としての自分を見る機会があると、女性はそれだけで自身を俯瞰で見ることが出来て、『1人の女性として目の前のことに向き合う強さ』を手にできる。悩んでることがどんな種類の悩みであれ、前に進む活力が得られるんですよね。

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・kanakoさんのライフワークであるお料理(食べること)とセクシャリティを表現することについて、もしリンクする部分があれば教えてください。

 

kanako:自己肯定です。生きてる意味を、自分の意思で、自分の手で、掴みに行くこと。この感覚が全く同じです。

料理をして食べることも、セクシャリティを表現することも、どちらも『私は生かされているんじゃない、自分で生きることを選んでいるから生きてるんだ』そう思えます。

“生きてる意味”なんて、ちょっと重たい表現になりましたが...そもそも、日常で「なんで生きていなきゃいけないの?」って思うことはザラで、これまで何度自分の人生を憎んできたか分かりませんが、結果そんなこと思っても生きている限り、生きるしか選択肢はなくて。そんな日々の中で、3大欲求である食と性をいかに楽しむかが鍵になると思うんです。食べることも、セクシャリティを表現することも、どちらもストレスフルな社会で生き抜く現代の人類が、1人の生き物として生きることを楽しむためには必要不可欠な要素だと思います。

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らむ:そうですね!お料理も撮影も(セクシャリティ)のどちらの表現もとても能動的なもの。自分で選んでいると言う感覚と、それらを積極的に楽しむと言う自立した覚悟にも似た「楽しみ方」は、今の時代に鍵かもしれませんね。

kanakoさん、本日はありがとうございました^^!

食を通して多くの女性へメッセージを届けるkanakoさん

ライターとして働く傍ら、“食”との向き合い方や楽しみ方をinstagramで発信。世間の美意識観により摂食障害に10年間苦しんだ過去をもとに、女性の“食”と“性”の在り方を追求中。リンクページはこちら👉https://www.instagram.com/kanaco.ok/

本質を突く素敵な言葉と、美味しそうなご飯がたくさん載っています。ぜひチェックしてね!

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kanakoさん改めてありがとうございました^^!

食べることはとっても官能的でもありますよね。

艶のある写真と、食の投稿これからも楽しみにしています♡!

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